2009.02.11 Wednesday
後方支援に感謝!
午後から、五反田のゆうぽうとホールへ。東京バレエ団のベジャール追悼公演を観る。モーリス・ベジャール氏が亡くなってから早1年以上。「ベジャール・ガラ」と題し、いろいろなレパートリーで追悼してきた公演シリーズも、今回が最後。
本日の演目は、「ギリシャの踊り」「中国の不思議な役人」「ボレロ」の3作品。
会場前で、Sさんと合流。今日は誘って頂いていた。というか、このSさんには、いつもお世話に成りっ放しだ。演劇、バレエ、歌舞伎と、年に何度となく連れていってもらう。日頃金欠の私には、興味はあるが今まで自腹だと・・と躊躇していた出し物はいっぱいある。そんな作品に出会うたくさんの機会を与えてもらってきた。特に1度や2度体験しただけでは、その面白みがつかめない歌舞伎へは、何度おごってもらったことだろう。私の想像力持続のパトロン?(笑)みたいな方だ。いつも本当に感謝している。
「ギリシャの踊り」と「中国の不思議な役人」は以前観たことがある。だが、全く新鮮な印象。ダンサーたちの研鑽の日常、それが決して嘘のつけない肉体の「今」となって、しかもさりげなく当たり前にある。このドキュメントに、人生哲学や美意識が投影された、ベジャール独自の身体言語が与えられる。1つ1つの細かな動きにさえ、驚きを感じさせられる。
また両作品で、ダンス以外にも私にとって新たな発見も。使われたギリシャ音楽の軽やかさ、突然舞台に割って入ってくるシクロ、そこからの登場シーン等の演出の面白さだ。前回観たときよりも、ライティングも含め、演出全体がつぶさに楽しめた。
そして「ボレロ」は初めて。こう言ってしまうだけで、私がベジャール通ではないことがバレてしまうだろう。むかし観た映画「愛と哀しみのボレロ」を想う。それまで個々にあった物語展開が、最後の最後で急速に全体にまとまり合い、1つの花のようになる。その役目がこの踊りだったと記憶している。
この幕が開く前の小休憩で、客席はすっかりリラックス状態。そんな中に、おなじみのモーリス・ラヴェルの曲。静かな出だしのせいか、舞台上も穏やかな雰囲気で客席との距離を感じさせない。大作の上演にも拘わらず、特別さはなく自然体の様子で始まる。
曲に沿い、徐々に盛り上がっていく。テーブル状の舞台で踊るダンサーの動きも合わせて加速化。やはりベジャールのボレロを踊れるのはダンサー冥利に尽きるのだろう。会場が日本であれ海外であれ、たとえ誰もいない場所でさえ、踊り手としては、人生のクライマックスの1つといっても過言ではない。全てを終え、カーテン・コールに顔を出したダンサーの表情からは、修羅場を1つ越えた人間ならではの充実感が溢れていた。
こちらも勇気をもらった。
終演後、Sさんと食事。今日もそうだが、毎回贅沢なものをご馳走になっている。私は日常に押し潰されそうになることもよくあるが、こういう風に後方支援して頂くとき、気持ちが改まる。どんな形になるか分からないが、必ず恩返ししたいと思う。
「今度はオレが出しますよ」。そう言うと、Sさんは決まって「出世払いで」とくる。
つまり、小銭勘定なんかいいから、早く真の表現者になれよっ!と。
本日の演目は、「ギリシャの踊り」「中国の不思議な役人」「ボレロ」の3作品。
会場前で、Sさんと合流。今日は誘って頂いていた。というか、このSさんには、いつもお世話に成りっ放しだ。演劇、バレエ、歌舞伎と、年に何度となく連れていってもらう。日頃金欠の私には、興味はあるが今まで自腹だと・・と躊躇していた出し物はいっぱいある。そんな作品に出会うたくさんの機会を与えてもらってきた。特に1度や2度体験しただけでは、その面白みがつかめない歌舞伎へは、何度おごってもらったことだろう。私の想像力持続のパトロン?(笑)みたいな方だ。いつも本当に感謝している。
「ギリシャの踊り」と「中国の不思議な役人」は以前観たことがある。だが、全く新鮮な印象。ダンサーたちの研鑽の日常、それが決して嘘のつけない肉体の「今」となって、しかもさりげなく当たり前にある。このドキュメントに、人生哲学や美意識が投影された、ベジャール独自の身体言語が与えられる。1つ1つの細かな動きにさえ、驚きを感じさせられる。
また両作品で、ダンス以外にも私にとって新たな発見も。使われたギリシャ音楽の軽やかさ、突然舞台に割って入ってくるシクロ、そこからの登場シーン等の演出の面白さだ。前回観たときよりも、ライティングも含め、演出全体がつぶさに楽しめた。
そして「ボレロ」は初めて。こう言ってしまうだけで、私がベジャール通ではないことがバレてしまうだろう。むかし観た映画「愛と哀しみのボレロ」を想う。それまで個々にあった物語展開が、最後の最後で急速に全体にまとまり合い、1つの花のようになる。その役目がこの踊りだったと記憶している。
この幕が開く前の小休憩で、客席はすっかりリラックス状態。そんな中に、おなじみのモーリス・ラヴェルの曲。静かな出だしのせいか、舞台上も穏やかな雰囲気で客席との距離を感じさせない。大作の上演にも拘わらず、特別さはなく自然体の様子で始まる。
曲に沿い、徐々に盛り上がっていく。テーブル状の舞台で踊るダンサーの動きも合わせて加速化。やはりベジャールのボレロを踊れるのはダンサー冥利に尽きるのだろう。会場が日本であれ海外であれ、たとえ誰もいない場所でさえ、踊り手としては、人生のクライマックスの1つといっても過言ではない。全てを終え、カーテン・コールに顔を出したダンサーの表情からは、修羅場を1つ越えた人間ならではの充実感が溢れていた。
こちらも勇気をもらった。
終演後、Sさんと食事。今日もそうだが、毎回贅沢なものをご馳走になっている。私は日常に押し潰されそうになることもよくあるが、こういう風に後方支援して頂くとき、気持ちが改まる。どんな形になるか分からないが、必ず恩返ししたいと思う。
「今度はオレが出しますよ」。そう言うと、Sさんは決まって「出世払いで」とくる。
つまり、小銭勘定なんかいいから、早く真の表現者になれよっ!と。