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Resistance in Life !

「生き方としてのレジスタンス!」と言ったら大袈裟だけど、そうありたいな〜って、ちょっぴりまじめに考えている、30代半ばの、とあるオッサンの日記です。
http://www.teruyuki-tanaka.net/
4月のテーマ「戦略は細部に宿る」
後方支援に感謝!
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     午後から、五反田のゆうぽうとホールへ。東京バレエ団のベジャール追悼公演を観る。モーリス・ベジャール氏が亡くなってから早1年以上。「ベジャール・ガラ」と題し、いろいろなレパートリーで追悼してきた公演シリーズも、今回が最後。
     本日の演目は、「ギリシャの踊り」「中国の不思議な役人」「ボレロ」の3作品。

     会場前で、Sさんと合流。今日は誘って頂いていた。というか、このSさんには、いつもお世話に成りっ放しだ。演劇、バレエ、歌舞伎と、年に何度となく連れていってもらう。日頃金欠の私には、興味はあるが今まで自腹だと・・と躊躇していた出し物はいっぱいある。そんな作品に出会うたくさんの機会を与えてもらってきた。特に1度や2度体験しただけでは、その面白みがつかめない歌舞伎へは、何度おごってもらったことだろう。私の想像力持続のパトロン?(笑)みたいな方だ。いつも本当に感謝している。

     「ギリシャの踊り」と「中国の不思議な役人」は以前観たことがある。だが、全く新鮮な印象。ダンサーたちの研鑽の日常、それが決して嘘のつけない肉体の「今」となって、しかもさりげなく当たり前にある。このドキュメントに、人生哲学や美意識が投影された、ベジャール独自の身体言語が与えられる。1つ1つの細かな動きにさえ、驚きを感じさせられる。
     また両作品で、ダンス以外にも私にとって新たな発見も。使われたギリシャ音楽の軽やかさ、突然舞台に割って入ってくるシクロ、そこからの登場シーン等の演出の面白さだ。前回観たときよりも、ライティングも含め、演出全体がつぶさに楽しめた。

     そして「ボレロ」は初めて。こう言ってしまうだけで、私がベジャール通ではないことがバレてしまうだろう。むかし観た映画「愛と哀しみのボレロ」を想う。それまで個々にあった物語展開が、最後の最後で急速に全体にまとまり合い、1つの花のようになる。その役目がこの踊りだったと記憶している。
     この幕が開く前の小休憩で、客席はすっかりリラックス状態。そんな中に、おなじみのモーリス・ラヴェルの曲。静かな出だしのせいか、舞台上も穏やかな雰囲気で客席との距離を感じさせない。大作の上演にも拘わらず、特別さはなく自然体の様子で始まる。
     曲に沿い、徐々に盛り上がっていく。テーブル状の舞台で踊るダンサーの動きも合わせて加速化。やはりベジャールのボレロを踊れるのはダンサー冥利に尽きるのだろう。会場が日本であれ海外であれ、たとえ誰もいない場所でさえ、踊り手としては、人生のクライマックスの1つといっても過言ではない。全てを終え、カーテン・コールに顔を出したダンサーの表情からは、修羅場を1つ越えた人間ならではの充実感が溢れていた。
     こちらも勇気をもらった。

     終演後、Sさんと食事。今日もそうだが、毎回贅沢なものをご馳走になっている。私は日常に押し潰されそうになることもよくあるが、こういう風に後方支援して頂くとき、気持ちが改まる。どんな形になるか分からないが、必ず恩返ししたいと思う。

     「今度はオレが出しますよ」。そう言うと、Sさんは決まって「出世払いで」とくる。
     つまり、小銭勘定なんかいいから、早く真の表現者になれよっ!と。


     
    | - | 23:44 | comments(147) | trackbacks(0) | - | - |
    「妙心寺」展を観て
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       今年初の国立博物館。平成館での企画展、「妙心寺」展を観る。
       展覧会を観る前に、まずは期間中何度か催されている「座禅会」に参加してみた。

       いつもは博物館本館のバルコニーからチラッと見るだけだが、北側には風情のある庭園がある。池や石碑が配された他、いくつかの茶室や講堂もある。座禅会の会場は、その1つの九条館。他の参加者共々、駐車場から初めてこの庭に入る。少し歩いて会場へ。もと京都御所内の九条邸にあった建物というだけに、時代を感じさせる。と同時に、なぜかとても爽やかな印象を受ける。
       若い禅僧の指南で座禅が始まる。参加者は概ね年配者。平日の午前中という時間帯もあるが、日本人は年齢を重ねていくほど、仏教へ関心を示す人が増えていくと聞く。「やすらぎ」のようなものを求めるのだろうか。私もさほどではないが、「内観」というものに興味がある。本日の参加もそんな思いからだ。
       座禅で一番大切なのは、呼吸だという。ヨーガもそう。だが、これが難しい。体の余計な力が抜け、呼吸に集中し、半瞑想状態にとは、とても及びがたい。一度、お願いして警策(きょうさく)で打たれる。よく座禅のシーン、特にコントで?出てくる棒である。バッシ、バッシと音がする。
       1時間程で座禅会は終了。最もこれを持ってして何かを悟れる訳ではない。続いて展覧会を鑑賞。

       臨済禅についての名品の数々。ウチが臨済宗ということもあり、何となく親近感がある。特に「遺偈(ゆいげ)」と呼ばれる、禅僧が死期前に書き残す偈が凄くて切ない。ただ権威ある僧になればなるほど、その立派さを求められるのだろう。当時は禅のみならず仏教全般が思想であり、自然科学も人文科学も全てが仏教に包含されていた。当然権力とも一体化する。天皇も絡む政治的な位置づけにあり、これらの偈も、ステータスの証明であろう。
       豊臣秀吉の子で幼いうちに亡くなった棄丸(すてまる)のおもちゃや鎧も、妙心寺のお宝として展示されてあった。おもちゃは小さい子がよく乗っかって足で地面を踏ん張って押して進む車だ。さすがに天下統一を成しえた男の子息用。ただの車ではなく母屋風の屋根も付いた船。秀吉のわが子への可愛がりようは半端ではなかったのだろう。
       
       こうして展覧会を観ながら思ったのは、何と中国からの影響が大きいことか。今回改めて感動した長谷川等伯の作品「枯木猿猴図」も唐絵のスタイルであるし、そもそも仏教自体が輸入されたもの。禅も栄西らが中国から持ち帰ったもの。
       日本は中国よりも凄いという人がいる。確かに経済的には、いち早く先進化した。またそう言ってきた人の中には、昨今中国の台頭に危惧を抱き、より日本人の優位性をうたう動きもある。
       「妙心寺」展で優れた過去の財産を観ていると、かつての中国の影響力を凄さを感じる。そうして思うのは、あらゆる事象は循環していくのだということ。つまり言いたいのは、中国のその頃の凄さがいいとか、ここ数十年の日本の物質的豊かさがいいとかいう意見ではない。日中のどちらが優れているかというのは重要なことかも知れないが、歴史的スパンで見ると、単なる小競りでもある。
       要は、いい時、悪い時、時代のトップを走っている時、そうでない時。いずれにせよ、地理的に近い両国は緊密に影響し合ってきたのだ。お互いの栄枯盛衰も、その上で成り立って「きた」。そうして「いる」。経済的な強さだけで日本を自慢する人には、改めて日本文化のバックボーンには中国の影響が欠かせないことを思い返すべきだろう。

       禅の懐の深さを思い観つつも、こんなことを考えていた。
       そしてこの禅のみならず、過去の大きな影響から、独自に物事を成熟させていく日本らしさの一端も、垣間見れた気がした。

       
      | - | 23:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      39歳と29歳
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         本日1日は映画の日。寒さもきつく疲れも溜まってはいたが、大好きな映画が劇場で1000円で観れる日。夕方から新宿・歌舞伎町に出掛け、シネマスクエアとうきゅうで「チェ・28歳の革命」を観た。

         劇場の席に着いて驚いた。フカフカでゆったり出来るシート。ちょっとしたソファだ。映画館にはよく行くが、飲み物を置くフォルダー付きシートは今や多いが、記憶の限り、こんなにゆったりシートには出くわしたことがない。後で知ったことだが、この映画館は以前は単館上映を専門とする、いわゆるミニシアターで、その走りだったそうだ。
         シートの心地よさは嬉しいが、眠ってしまわなければなぁ〜・・・との不安も過ぎった。そして、案の定、ほんの僅かだが上映中1度カクンと落ちた。

         映画は文字通り、エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デル・セルナの生涯を描いた伝記的作品。タイトルの28歳というのは、ちょうど彼がキューバ革命を率いたフィデル・カストロと出会い、メキシコからグランマ号に乗り込みキューバ上陸を果たした時の年齢。いわば、革命家の足跡として、彼の第1歩とされる。
         ゲバラに関してほとんど初心者の私には、彼の人生を知る入門書として、まさに格好な作品だ。
         以前「モーターサイクル・ダイアリーズ」という彼の青春期的な映画を観た。そこには旅という経験を通して、これから先、自らどう生きていくべきか、その思想の基となるような動機的エピソードが描かれていた。
         今回の「28歳・・」の方では、まとまった言葉で彼の思想が説明されることはない。しかし戦闘を経ながら、ある意志がより強固になっていく様が描かれる。つまり、真の革命家に、そして、そうあり続けようする決意となる。
         この映画は2部作なので、もう1つの「チェ・39歳別れの手紙」も観ようと思う。同時に彼はいくつか著作も残しているので、こちらも読んでみたい。そして以前「コマンダンデ」という映画やいくつかのドキュメンタリーで観たカストロにも、改めて興味が。思索深い一方でチャーミングな一面もある人物だ。その他キューバは音楽や文化、人柄も魅力的に思える。是非とも訪ねてみたいものだ。

         帰宅しテレビをつけると、ちょうどドキュメンタリーが始まった。作家の小林多喜二の特集。彼の代表作「蟹工船」が、昨年まるでリバイバルのような形で突然ベストセラーになった。折からの不況で生活にあえぐ派遣社員や季節工など非正規雇用の立場の、特に若者から、支持が多かったという。時間を越えて彼らの現在の心理状況に重なったらしい。
         彼の人生は何とたったの29歳。治安維持法下での言論弾圧の末、特高警察の拷問により殺害された。番組中、彼の遺体写真が映される。棒で殴りつけられた体はキズだらけ。特にもも、ふくらはぎ等、下半身が内出血でパンパン、その腫れ具合はまるで作り物のように異常。思わず目を覆いたくなる。手には杭を打たれていたとも。
         放映の中には、彼の文学にかける思い、そして淡い恋ごころのエピソードもあった。そう言えば、彼の作品はまだ読んだことはない。内容は重いかも知れないが、作家本人は親想いの明るい性格だったという。

         ゲバラは後にボリビアで処刑され、享年39歳。
         多喜二、29歳_。共に若過ぎる死。
         確固たる信念を持っていた両者。妙な言い方になるが、もし彼らに強い意志がなければ、もっと長生きしていたことだろう。
         映画とテレビでながら、こうした運命をたまたま同じ日に見て知り、今晩はなかなか眠れそうにない。

         
        | - | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        北朝鮮問題をきく
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           夜勤のバイトから帰ってきて、ついウトウト。
           目が覚め、時計を見ると14時を回ったところ。「あっ」と思ったが、体が動かず。このまま寝ていようか。5、6分迷ったが、「よしっ」と立ち上がり出掛けた。
           今日はジャーナリストの有田芳生さんが主催する「有田塾」に参加する予定だったのだ。しかも開始時刻は14時。今から出発してどのくらいの参加になるのか?・・・。まあ、迷ったら行け!だ。

           会場の大山グリーンホールに着いたのはちょうど15時頃。約1時間の遅刻。この建物の中の小さな会議室が会場。「有田塾」にやって来るのは、ほぼ1年振り。第一回目以来となる。
           本日のゲストスピーカーは、辺真一(ピョン・ジンイル)さん。コリア・レポートの編集長で、よく北朝鮮関連や拉致問題のニュースで、コメンテーターとして顔を見ることが多い人だ。「アメリカのオバマ新政権が誕生することで、北朝鮮をめぐる情勢がどう変わるのか」がテーマだった。
           
           会場に入った際、話は既に佳境。辺さんのボルテージは相当上がっており、白熱した講演であることが伺えた。とある会見場で石原都知事に「北に乗り込んで拉致被害者を取り返して欲しい」と頼んだが、オレじゃ無理だと濁されたエピソードを語っている最中だった。「小泉さんが駄目で、石原さんが駄目なら、一体誰がいるの。政府の対応なんて、そんなもんですよ」。私が遅刻してしまった間に、これまでの政府の北朝鮮政策の不甲斐なさ、これに付随して、「頑張ってますよ」と言って票を取ろうとする政治家のこと等を批判されていた様子。
           辺さん自身の北朝鮮政府に対する姿勢はかなり厳しい。個人的にも北にいる血縁者に送金しようとしたが北の政府が受けいれず、何人も見殺しにせざる得なかったこともあったという。
           そんな中でも、拉致解決の糸口として、日本も加害者の立場で話すべきだと主張。拉致問題においては被害者だが、過去の朝鮮半島における罪はまだ清算されていない。加害者のままだ。人権の問題においては過去も現在もない。「つぐない」がきちん成されているか否かということだ。拉致問題、過去の人権問題、双方が加害者の立場で話し合う。この2つは、あくまでパッケージで解決すべきとの意見。
           さらにいろいろ話された中で印象的だったのは、日本の対北との「人の往来」の無さについての指摘。他国が政治的にうまくいかなくても、経済的には何かしらの交流を持っており、企業等を通じて人的交流はある。まあ、他国が経済的な付き合いを続ける理由は、北朝鮮が持つ地下資源に目を付けた下心からではある。企業が儲けを求めてやって来るのは、当然といえば当然。
           そうであっても、日本はほんの僅かなところを除いて、民間での行き来も皆無だという。そのうえ、こんな閉塞状況に「繋ぐ」力を発揮する文化、スポーツですら、全くといっていいほど交流はない。これでは戦前の日本で軍部支配体制が取った行動と同じではないか_。この観点からの指摘に、思わずハッとさせられた。
           この他にも、中国と北との関係。中国は北の経済的パトロンであっても、決して軍事的には用心棒として幅を効かすことが出来ないこと等々。これは中国が最も嫌う少数民族問題と関連する。吉林省と始めとし、中国国内に暮らす最大数の少数民族は朝鮮民族だ。そこを逆撫ですることは、チベット問題以上の引き金を引くことに成りかねない。この点では中朝、日米関係とは大きく異なる。日米同盟の現状は、経済と軍事面がセットになっている。

           気付けば、あっという間の1時間。知らないこと尽くめで、自分の勉強不足を痛感。遅刻で諦めず、僅かな時間でも来た甲斐があった。
           そして帰りの電車の中では、自分の中で拉致問題を意識するようになった切っ掛けを思い返していた。それは、横田めぐみさんのお母さん、早紀江さんにご挨拶させてもらったことだ。
           今日聞いた国際関係や経済の情勢、そして歴史的背景。そこから今後を想定し対応していく。そういうことには興味がある。
           だがその根底には、辺さんを熱く切実に語らせたように、常に当たり前としての人間主義があるのだ。


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          ついに?のマンハッタン・トランスファー
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             青山のブルーノート東京で、マンハッタン・トランスファーのセカンド・ステージを聴く。先日のザ・ワールドフェイマス・カウント・ベイシー・オーケストラに続いて今月2回目のブルーノート。金銭的なやり繰りを考えて行くかどうか迷ったが、迷ったら行け!とばかりにやって来た。

             ライブ行きを迷ったには訳がある。金額が高いことと、もう1つ。特に入れ込む程のファンではないからだ。
             ただ、ずっと気になっていたアーティストの1人(グループ)だった。遡ること、私が中学だったか高校生だった頃。はっきりとした年代は忘れてしまったが、彼らが「アメリカン・ホップ」という曲を歌う様子が、サントリーのウイスキーのテレビCMに使われていた。同世代か、より年配の方の中には、ご記憶の方もきっと多いだろう。その時から、一度彼らのパフォーマンスを間近で観てみたいと思っていた。そして、予備校時代、テレビのない寮暮らしの中で、アルバム「アメリカン・ポップ」はよく聴く1枚になっていた。
             大学進学を契機に地方から上京し、早、20年近く。その間、マンハッタントランスファーのニューアルバムやライブ情報を耳にしてきたが、いつも何らかしらの理由で、購入したり出掛けて聴くことなどなかった。そのつど気にはなるのだが、「敢えて」どうこうするということはなかった。。

             毎年、年初に立てる目標。どれだけ達成出来るかは怪しいものだが、今年もいくつかある。その1つに、「今まで気に掛かってきたことに改めて出会った際、きっちり白黒つけよう」という思いを入れている。
             一見ヘンな目標に聞こえるかもしれないが、要は、悔いのない時間を過ごしたい。「やりたいことはやろう!たとえ1度見逃してしまったことでも」ということだ。
             で・・・。そう、このライブに行くことを決めた動機は、まさにコレ!マンハッタン・トランスファーへの精算?という訳ではないが、ずっと気になっていたからだ。

             行ってよかった。驚いたが、感動した。
             何に驚いたかと言えば、彼らがステージに登場した際。景気よく出て来たのは、何と4人組のジジィ、ババァ。びっくり。でも、ぱっと考えてみると、私が彼らのテレビCMで見て、20年以上も過ぎているのだ。当然と言えば当然だ。
             しかし一度ステージが始まると、さすがの一言。魅力的な歌声、キレのあるシャウト、絶妙のハーモニー。そこには、年寄りの影すらない。特に今やジャズの歴史と化したクリフォード・ブラウン、マックス・ローチの伝説のカルテットのアドリブ部分をそのままの形でメロディをつけ、難なく歌ってみせる辺り。またバックバンドなしの全くのアカペラも披露。ボーカリーズという1ジャンルの大御所たるところを痛感。

             そして、私が最も感動したのは、「額の汗」。
             今回私が陣取った席は一番前。場合によっては聴きずらいケースもあるが、今回ドラムスの位置にはオーケストラでよくやるように、透明なアクリル板の仕切りが施されていた。おかげで歌声は聴きやすい。彼らとはわずか2メートル程の至近距離。もちろん、彼らの瞬き、呼吸を整える様、出しづらいキーをしぼり出しているところでさえ、全て手に取るように伺えてしまう。アルバムからだと、いとも簡単に高度のハーモニーを彼らがこなしているように思えるが、それは違う。
             十数回(ブルーノートのチラシによる)にも及ぶグラミー賞受賞歴。この物凄い金字塔は同時に彼らの音楽性のハードルの高さでもある。こうした油の乗りきった時期を過ぎ、彼らも円熟期に入ってきた現在。誰しも肉体的な衰えはやって来る。だが歌う姿からは、自ら作ってきたこの険しいハードルを今のコンディションに合わせて下げることは、決してしていない。むしろ挑んでいる。
             少なくとも、私にはそう見えた。

             エンターティナーとしての振舞いや笑顔と同時に、額にうっすら浮かぶ汗。そこからは、自分を超えていくための日々の研鑽が垣間見える。過去の栄光にすがらず、現在を創る。いやだからこそ、第一線であり続けるのか。

             思わず、「一流」とか、言ってみたくなる。
             
             
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