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Resistance in Life !

「生き方としてのレジスタンス!」と言ったら大袈裟だけど、そうありたいな〜って、ちょっぴりまじめに考えている、30代半ばの、とあるオッサンの日記です。
http://www.teruyuki-tanaka.net/
4月のテーマ「戦略は細部に宿る」
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1つの尺度/「パラダイス・ナウ」を観る
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     物事を知れば知るほど、どうしても避けて通れない問題があることに気付く。ちょこまかと海外に出かけたりすると、なおのこと、それを実感する。今までの自分の無知さに呆れる瞬間でもある。

     2年前、ニューヨークに出かけた際のこと。何度か訪れたことのあるこの街で、今回はコロンビア大学に留学している友人のアトリエに泊めてもらうことになった。詳しい学部や学科の名称は忘れてしまったが、製作メインのアートの学科で、友人は彫刻の製作をしていた。
     名立たる作家が教授として在籍しており、彼らはそのまま有名ギャラリーと繋がっている。学生の関心は、専らそのコネクションをどうゲットしていくか、そのためにどの作家教授のゼミを取ればいいのか_。今後の見通しを付け、確実に実利を得ていくこと。学生にとって、わざわざこの大学にまで進学しに来た、最も重要な理由だという。
     週に1度や月に1度、作家や評論家が、学生の各アトリエを訪れ、‘クリニック’を行う。言わば、作品のダメだしをしてもらうのだ。作品の完成度を高めることは勿論、理論面や理屈で作品の製作意図を突っ込まれた際、確実に切り返せる理論武装を授かるという。真摯に助言してくれる評論家、敢えて何も言わない作家等もいる。学校といえども、先生と生徒との間では、いずれ自分のライバルになるのではと、将来を見据えた見えない争いが、すでに始まっているらしい。
     たくさんの未来の大物?のアトリエが集まったビルで過ごしていると、何かにつけ、隣人が訪ねてくる。いろんな国籍の人間が集まっており、しかも皆、ギラギラしている。いかに美味しいとこを取るか。最初に作品有きではあろうが、有名ギャラリーと契約し、どうやって富と名声を勝ち取るのか。自発的に話してくる内容の7割程はそんなことだった。アーティストと話しているよりかは、経営者やちょっとした政治家と話している気分にさえなる。
     正直うんざりするが、これがニューヨークを創っている現実であり、遠くから見れば光の部分だけが見え、憧れに写る。でもやはり、現実の片鱗を見ないとニューヨークに来た意味はないだろう。その泥沼で必死にのた打ち回る友人を見ながら、感心が半分、哀れみが半分だった。いいか悪いかは別として、少なくとも私はその中で勝ち抜くことは出来ないだろう。
     同じアートを軸にした生き方でも、違う動き方をしていかねばと、改めて思った日々でもあった。

     さて、そんなことはさて置き、夜中、トイレに行くため、アトリエを出た。視聴覚教室を抜けようとしたところ、誰か数人いる。ビデオを鑑賞している様子だった。私はIDだけを借り、夜間は誰もいなくなる巨大なアトリエ集合ビル、兼、学校施設の中で、独り潜んで泊り込んでいる。24時間いる守衛にも存在をバレないようにしなくてはいけない。しかし何を見ているのか?とても気になる。思い切って話しかけてみた。
     「ホロコースト」の映像を見ているという。どうしてかと聞くと、課題だという。かつてユダヤ人に対して、こんな歴史的悪事があった、それはこんな人物たちによって仕出かされてきた。その経緯と事実をきちんと認識せよという主旨らしい。翌日、アトリエの友人やその他の学生にこのことを聞いたみたところ、皆、最初にこの課題を受けたという。
     これから形成される思考や思想が秩序よく積み上げていけるようになるため、土台としての勧善懲悪の価値観を教え込んでくれているのだ、そう言う者もいた。しかし複数の意見を聞いていくうちに、「いいものはいい、悪いものは悪い」、そんな単純なプログラムのように思えなくなった。話を二極化していけばいくほど、良い側にあたるユダヤ人やユダヤ的なるものが完全無欠で正しいとなってくる。そこには、シオニズムの気配さえ感じられた。
     政治、経済等、アメリカという国の重要なところは、ほとんどユダヤ人が牛耳っている。時折ニュースや書物で知らされるこのことを、名門大学の教育にも垣間見た。そんな気がした出来事だった。

     
     パレスチナやイスラエルについて、どのくらい自分で考えたことがあるだろうか。その度合いの深さで、その人の国際感覚が量れると言っても過言ではない。
     単にリゾート目当てで団体で海外旅行をしている連中は論外としても、私ですら一人旅をする際、庶民的な小さな出会いの中にも、その認識を問われることは幾度となくあった。

     今日は恵比寿の東京都写真美術館で、「パラダイス・ナウ」を観てきた。
     監督のハニ・アブ・アサド氏はイスラエルの国籍を持つパレスチナ人。イスラエルに対するパレスチナ人の、自爆テロではなく‘自爆攻撃’(suicide attack,suicide operation)を描いた作品。2人の若者が自爆攻撃に赴いた48時間の出来事を凝縮し、人間目線で綴った作品だ。
     スクリーン一杯に溢れる「イスラエル占領地ナブルス」の光景。そこに暮らす人々の生活や現実感立ち込める雰囲気。全編を通じて映し出されるリアリティーに満ちた、乾いた空気感。終始圧倒される。
     一方で映画の構成やレトリックが気になる。パレスチナの映像を見るとき、今までドキュメンタリーでしか見たことがない。だからなのか、これ程の問題を、敢えてフィクション形式で見せられることへの戸惑いもあった。
     
     そして全て見終わった後、主人公の悲痛な人生や生きる環境を思いつつ、2年前のコロンビア大学での一夜が頭をよぎった。遠まわしにも、シオニズムが定着していくような、受け皿的な教育が振りまかれている現状。一方でこの映画に描かれる無名な若者の生き様。この2つがオーバーラップした。
     米国型グローバリズムには、シオニズムという差別的発想を常識化させようとする目論見も含まれている。その根底には、確実にイスラエルの意向を反映した、パレスチナ問題の隠蔽意志がある。

     人の命がリアルタイムで失われているという現実_。その痛みを共有していくこと。命ありきが最初。シオニズムのまやかしを知識レベルで紐解くことより、この観点から、事態収拾の糸口を掴み取っていきたい。
     この映画は、ただそう語る。
     

     
    | - | 23:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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