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Resistance in Life !

「生き方としてのレジスタンス!」と言ったら大袈裟だけど、そうありたいな〜って、ちょっぴりまじめに考えている、30代半ばの、とあるオッサンの日記です。
http://www.teruyuki-tanaka.net/
4月のテーマ「戦略は細部に宿る」
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またしても・・・「夜桜能を観る」
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     朝から雨。午後からさらに強くなってきた。
     今晩の予定は、靖国神社での薪能「夜桜能」だ。屋外の能楽堂で年1回の催し。ここでの薪能は初めてなので楽しみにしていたが、この天候では無理だろう。しかも私の体調も絶不調だった。急に寒くなったため、何となく熱っぽい。
     雨天の場合は中止ではなく、日比谷公会堂に場所を移して行われる。16時の時点で、そう決まってしまった。

     実に17年振りの日比谷公会堂。19歳の時に、読売新聞社長のナベツネこと、渡辺恒夫氏の話をここで聞いて以来だ。時代を感じさせる建物の造りと雰囲気。普段行く劇場とも違い、何か特別なイベントのように思えてくる。
     会場に入ると、驚いた。大きな桜の樹がデ〜ンと2本、舞台両袖に設えてある。もちろん本物だ。この日のために東北から運んできたのだという。生花ではなく、まさに生樹。格好いい。この存在感と意外性に思わず鳥肌が立つ。
     
     例によって一番安いチケットのため、舞台から一番離れた席に着く。いよいよ演目が始まった。
     舞囃子「融(とおる)」、狂言「磁石」、能「巴(ともえ)」。3つの出し物が休憩なしで一気に行われた。
     いずれも熱演だったと思う。「だった」と断定出来ないのは、私の体調がやはり思わしくなく、集中出来なかったからである。先月の「アントニオ・ガデス舞踏団」の公演の際も、睡眠不足でせっかくの公演を心底楽しみ損ねてしまった。今回は風邪が原因だが、観たいと思ってわざわざ時間と金を工面する訳だから、最低限の自己管理は怠ってはいけない。またしても、そのことを痛感。本当に学ばない男だ。トホホ・・・(泣)。

     そんな残念な思いをしながらも、改めて再認識したこともある。一言で言えば、「密度と拡散」である。
     今回は室内で行われた。閉じられた、いわば密閉空間での出来事である。そうなると、観る側は自ずとシテそのもの、その存在感を中心に観るようになる。彼らの技や演技力、その力量にどれだけ感動させられるかがポイントになる。つまり、アスリートを見る目になるのだ。観る側の集中力の密度は増し、ひたすら演者一点に注がれる。
     一方でもし天候がよく、予定通り屋外で薪能として開催されていたなら、求める感動の質も変わってきたはずだ。個々から放たれる力よりも、会場全体の空気感全てが感動の対象となる。
     自然の風はコントロールが利かず、居合わせる人に単なる心地よさだけを提供する訳ではない。またその風がライティングとなる炎を無作為に動かし、舞台上の出来事を現実なのか幻なのか分からなくする。

     そう言えば、初めて能を観たのは、世田谷の砧公園での「芝能」だった。随分前のことになる。薪能だが、舞台すらない。文字通り、芝の上で演るのだ。途中から強烈な突風と大雨が降り、明かりにしていたかがり火も消えそうな勢いだった。
     そんな最悪のコンディションの中、囃子方は演奏を止めず、またシテも舞い続けた。絵的には最高にスペクタクルだった。堂々と続けば続けるほど、彼らの存在は確固たるものになっていく。そして同時に、外に外にへと溶けていくのが分かった。
     厳密には本来の意味とは違うかもしれない。しかしこの時、私の中で、生まれて初めて「幽玄」を想った。

     それ以来、能に一目置くようになった。頻繁に観にいくわけではないが、どうせ出掛けるのなら、屋外での薪能にしている。その時の感動が忘れられないからだ。
     学校の課外授業で、能を見せる学校もあると聞いた。そして室内でかしこまって見させられることにヘキヘキし、それがもとで、能嫌いになる子供もいるという。おそらく私もそうなってしまうだろう。
     しかし薪能だったらどうだろうか。洗練された行為や思想という学識的な部分は分からないにしても、これらが自然界に溶け合っていく様_。そのダイナミズムや背後にある神秘性については、子供たちの方がはるかに敏感に感じ取り、本質を記憶に刻み込んでいくはずだ。


     今日は散々だったが、私が想う「幽玄」を思い出させてくれた。
     
     さらに超えていくものに出会いたい。
     そして、もっともっと超えていくものを、自ら創っていきたい。







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