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Resistance in Life !

「生き方としてのレジスタンス!」と言ったら大袈裟だけど、そうありたいな〜って、ちょっぴりまじめに考えている、30代半ばの、とあるオッサンの日記です。
http://www.teruyuki-tanaka.net/
4月のテーマ「戦略は細部に宿る」
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四天王寺にて
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     早番で早朝4時に出掛けた再婚相手を見送ったあと、2度寝。再び9時前に起床。母からふいに庭に伸びた1本の木を刈ってくれと頼まれる。ここ2,3年でどんどん伸びて、このままではもう少しで電線に届いてしまうというのだ。
     見ると、なるほど真っ直ぐ天に向かって伸びている。名前は分からないが、新築の家の庭には芝生と共によく植えられるモミの木に似た木。取って付けたように植えられたわりには、ここまでよく伸びたものだ。
     椅子やテーブルに上がり先端を刈ろうとした。どうしても届かない。10分位どうしようかと苦戦していると、母がお隣さんから高枝切りバサミを借りてきた。一昔前の深夜の通販番組で、定番商品として登場していたアレだ。
     初めて使う。テーブルに上がり、腕を伸ばして使おうとするが、うまくいかない。またも苦戦していると、お隣のおじさんがやってきて、こう使うんだと直々に刈って見本を見せてくれた。
     そうだ!これだ。その時、突然思いついた。昨日父の墓に行った際、真上の枝にはどうしても手が届かなかった。これを借りて、再度チャレンジしてみよう。2,3時間借りるお願いをして、母の運転する車で父の墓へ直行。

     思うようにバシバシと枝が刈れた。随分とスッキリ。しかしそれでも届かない箇所もあった。どうにか刈ろうと努力したが無理だ。まあいいかぁ。ただやみ雲に刈ればいいというものでもない。過度にやりすぎると自生する木々との共生でなくなってしまう。この位が木も伸び過ぎることなくちょうどいい。また父も目の前がよく見渡せることになってきっと満足していることだろう。無駄に相手を傷つけることなく充分に目的が果たせたので帰路につく。
     家に戻ると、即、荷物をまとめ、東京に帰る準備。広島から新幹線「のぞみ」の出発時間から逆算してちょうどいい時間にここを発つことに。母が急いで弁当を作り、持たせてくれた。祖母とも一緒に写真を撮り、帰京まえの挨拶。正午過ぎにローカル線に乗って、岩国を出た。

     15時前、新大阪到着。大阪駅に出て、環状線で天王寺駅に向かう。途中の車内からは、この時期の名物、造幣局の桜の通り抜けが少し見えた。やっぱりハッとさせられる美しさだ。天王寺駅につくと15分ほど歩いて、寺院の「四天王寺」に。ここを訪ねた理由は、後日納骨される母方の祖父に手を合わせるためだ。
     お寺の大きな門と交差点を挟んで正面にある‘たこ焼き屋’に「たこ煎餅」100円とある。何だろう。買ってみる。薄いおおきな海老煎餅にたっぷりとソースのかかったたこ焼きが2個挟んである。初めて見るものだったので、「ここのオリジナルですか?」と聞くと、振り向き様に小奇麗なおばちゃんが「店によって、ちょっとずつちごうてるみたいですけどね〜」。よく分からないが既に認知されている食べ物のようだ。
     このやり取りで大阪に来たんだなと実感。ベンチに座って食べた後、四天王寺へ。

     初めて来た。町なかにしては大きな敷地。中をざっとみて回る。ここの人らしき人に、預かって頂いている祖父のお骨のことを伝え、場所を教えてもらう。納骨堂だという。もう閉まる時間だというので急ぐ。
     正方形の納骨堂。決してそんなに広くはない。しかし中にはびっちりと何人もの火葬後の骨が納められた箱が、仮安置として並んでいる。特に名札もある訳でもなく、これではこれが祖父のお骨だとは分からない。
     1つ1つの箱を目で追う。箱の大きさは大小様々。しかし、その1つ1つに確実に、それぞれの人生を感じさせる重みがある。と同時に生と死の境が曖昧なことに気がついた。特定のお骨に対して同情や思い入れを持つことは危険だと思った。何だか引っ張って行かれそうだと感じたのだ。だからここでは、敢えて、仏法による区分けや仕切りが必要なのだろう。納骨堂前のロウソク立てに火をつけ、線香と立て、手を合わせる。
     ここで安置される全てのお骨は、年2回、期間を区切って合同供養され、その後、納骨総祭供養塔がお墓となる。こうした祀られ方が良いとか悪いかは別として、祖父の場合もいろいろ事情があった故の結果ではある。

     祖父は生前誰からも愛されていた。
     私に出来ることは、祖父の存在に感謝し、そのスピリットを受け継ぐことである。
     日々感ずることであろうが、その気持ちがゆるんだ時には、ここを訪ずれて、活を入れてもらい、そして勇気を貰いたい。

     
     


     
    | - | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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