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Resistance in Life !

「生き方としてのレジスタンス!」と言ったら大袈裟だけど、そうありたいな〜って、ちょっぴりまじめに考えている、30代半ばの、とあるオッサンの日記です。
http://www.teruyuki-tanaka.net/
4月のテーマ「戦略は細部に宿る」
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「兵士の笑顔」と、「いるかも知れません」
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     7時に起床し、チェックアウト。荷物は夕方まで預かってもらうことに。今日は北朝鮮との国境にあるDMZ(非武装中立地帯)に向かう。自力でも行けなくもないが時間等の効率も考えて、昨日この現地ツアーに申し込んでおいた。
     約束通り、宿の前で迎えを待つがなかなか来ない。30分待ったところで、電話してみた。どうやらこの宿は最近移転して現在の位置になったらしい。以前の場所で待機していたとのことだった。
     やっと送迎のマイクロバスに乗ると、日本人は私だけではなかった。40過ぎと60過ぎの男性が別々に参加、あと20代後半の女性2人組、私を入れて計5名だった。この小型バスでツアー集合地に着き、目的地行きの中型のバスへ乗り換え。そのバスには別の送迎バスで到着していていた西欧人たちが既におり、最終的には20人ほどになった。
     
     このソウルの中心地からDMZへは車で約1時間半ほど。距離としても、わずか50数キロほどしか離れていない。その先の板門店もソウルから西北方面に62キロほどだ。首都と国境戦線とがここまで近いということに、まさに驚くしかない。
     1945年の日本の敗戦に伴い朝鮮半島が米ソにより分断され、48年には南北で別々の国家樹立。50年には朝鮮戦争。その後休戦ラインなる分断線が出来たのは53年。その分断線に沿って両側2キロの幅の面積がDMZ(非武装中立地帯)である。
     漢江(ハン川)を上流にさかのぼっていく形で、ひたすら道を突き進む。バスの中では、我々日本人は後方に座り、日本語が話せるガイドから説明を受ける。また前方では英語で、別のガイドが西欧人に対して説明を行っていた。日本語ガイドは40代の人のよさそうな韓国人男性で、要所要所で説明を入れてくれる。一方もう少し若いと思われる英語の韓国人ガイドは、ほとんど途切れなく喋りっ放し。相当な熱弁だ。運動家のように思えた。
     1時間ほどで臨津閣公園に到着。15分程の自由行動。日本人サイドは各人ばらばらだが、英語サイドはガイドが自由行動させず、屋外でひたすら説明。交じってみると、ガイドは地面に朝鮮半島の絵を描き、現在地を教えていた。詳しく教えてくれるのはいいが、少しやり過ぎだ。皆あちこち見たそうだった。

     土手のように小高くなっているところに上ると、フェンス越しに臨津江(イムジン川)が見えた。ここに「自由の橋」が架かっている。かつて北朝鮮に捕虜となった1万3千人もの人が保釈された時、「自由万歳」と言って渡ってきた橋だ。
     同じくフェンスから10メートルほど先に見張り台もある。遠くもないので、様子が見える。兵士が2名、銃を持って立っていた。よく見ると20歳くらいの若者だ。カメラを構えると、笑顔で照れながらポーズを取ってくれた。取り終えた後も、いろんな構えをしてニコニコして喜んでいる。余程退屈していたのか、本当に嬉しそうだ。とは言え兵士ではあるので、本人的には、はしゃぐ姿を最小限に抑えたつもりのようだ。それでもかなり目立った。
     子供っぽく、本当にかわいらしい。まるでサークル関係の集まりで遊んでいる大学生に出くわした感じだ。再三のポーズに、こちらも仕方なくシャッターを切る。行き去ろうとすると今度は、「こんにちは!」と声を掛けてきた。これではバスの出発に間に合わない。韓国語で「さよなら」が分からないので、「じゃあね」と大きく手を振り返した。
     こんな子たちの身が、危険にさらされるようなことは絶対にあってはならない。全く予想してなかったこの小さなコミュニケーションで、心底強くそう思った。

     その後、DMZ内に立ち入ることを許可された専用バスに乗り換え、DMZ内に。そしてDMZ展示館で資料や映像を見、長さ1635メートルもの「南侵第3地下トンネル」に入る。約30分ほどで出て来いと言われるが、相当長い。急いで端まで行って戻ってきたが、それでも10分はオーバーしていた。60代の男性は制限時間を考えて途中で断念したそうだ。この辺りが集団行動なので仕方ないが、ツアーのよくないところだ。

     分断線は曲がりくねっている。当然それに沿ったDMZの敷地も複雑な形。DMZから出る形で「ドラ展望台」へ。
     まずは肉眼で眺めてみる。天気が良かったため、手前のDMZを行く車両、そしてその奥の北朝鮮がはっきり見えた。DMZからすぐの北朝鮮側にはいくつか建物があった。「あれはダミーですよ」とガイド。無人の建物だという。展望台の室内にある会議場に入る。そこにはここから見える景色を再現し解説するジオラマがあった。それによると、遠くの方に金日成の巨大な像が見えることになっていた。
     再び外に出て今度は備え付けの双眼鏡を使って眺めてみた。北朝鮮の様子を見る。のどかな風景だが、人の姿は見えない。金正日の巨像を探すが分からない。結局分からず仕舞いだったが、その代わり木々に掛かった「将軍様」らしき大きな肖像画を発見した。
     見通せる景色の行き止まりに山があった。そこにいくつか団地のように建物がある。北朝鮮で3番目に大きな都市、開城市(ケソン市)だという。ちょうどそこに目をやっていた時、ガイドが私に言った。「あそこがケソン市です。日本から連れ去られた拉致被害者もいるかも知れません」。

     ケソン市は何も双眼鏡でなくても、肉眼でも充分見えた。北朝鮮と言えば遠く感じるが、ケソンとの距離は本当に目と鼻の先だ。そこに未だ帰って来れない拉致被害者がいるかも知れないと思うと、その不条理の極みに何も反応出来なかった。

     バスで都羅山駅(ドラ山駅)へ。北朝鮮へと繋がる鉄道だ。然るべき時期さえ来れば、ソウルからピョンヤンまで、いつでも列車が走れるようにレールは完備されている。
     一路ソウルに戻る。帰り際も北朝鮮との陸路でのイミグレーションの前を通過。数台の報道車が止まっていることに気がついた。
     聞くと2日後に、ここをノ・ムヒョン大統領が歩くのだという。ここからDMZ内を歩き、その後車に乗ってピョンヤンまで会談にいく。韓国国内ではそのことが話題になっている。一段とガイドが熱く語る。またイミグレーションから先、ピョンヤンまで続くこの高速道路は、現代(ヒュンダイ)の元会長が建設したことも教えてくれた。彼は北の出身。この道が出来たのも古い話ではない。

     ソウル市内に戻ると、帰国便まで5,6時間あった。南大門市場へ行ったりと、市内をブラブラする。その後、金捕空港から羽田空港へ。フライト時間は何と1時間ちょっと。モノレールを乗り継ぎ、重い荷物でヘロヘロになりながら、自宅アパートへ。
     やっとこの旅が終わった。思った以上に金が飛んだ。明日からは金銭的に追い詰められた日常が始まる。でも今は、ただ稼ぐためだけに時間は使いたくない。かと言って、アートのためだけにとも思わない。


     日々生きていく上で感じること。それは純粋な感動であったり、矛盾に苛立つことかも知れない。自分の不甲斐なさを嘆くこともそうだろう。
     だが、その思いに正直でありたい。そこからどうするのか。実践し、そうやって成長したい。もしその延長上にアートがあるなら、これからもアートをやる。
     
     ちょっとカッコつけて言いたい。

     これからも頼むぜ!
     
     
     
     
     


     
     
    | - | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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