RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

11
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
--
>>
<<
--

Resistance in Life !

「生き方としてのレジスタンス!」と言ったら大袈裟だけど、そうありたいな〜って、ちょっぴりまじめに考えている、30代半ばの、とあるオッサンの日記です。
http://www.teruyuki-tanaka.net/
4月のテーマ「戦略は細部に宿る」
バングラデシュのマイクロ・ファイナンス
0
     六本木ヒルズの「Roppongi BIZ」にて、ファザル・H・アベド氏による「未来を変える人たち/発展途上国に明るい光を投げかけるBRAC(バングラデシュ農村向上委員会)の活動」と題された講演を聴く。

     「イデオロギーやマーケットからではなく、イノベーションによって社会問題の解決を図ってきた」。そう主張する氏は、BRAC(バングラデシュ農村向上委員会)の創設者であり現在、会長職。昨今、個人やグループ、市民団体、ボランティア団体、NGO、NPOという動きの中で、市民が活動のメインを担うものは、市民セクターと呼ばれている。そうした動きの中で特に斗出した人物は「社会起業家」と位置づけられる。彼もその1人である。
     「社会起業家」と言われてもピンとこない人も多いかも知れない。実は私もそうだった。しかし2006年にノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのムハマド・ユヌス氏がそういう存在だと分かり、合点がいった。彼は貧困層向け小口融資を新興国を中心に普及させたグラミン銀行の創設者で、現マネジング・ディレクター。その活動振りは深夜に放送されるCNNドキュメントで見て知っていたので、「社会起業家」とは、単なるビジネスマンを指す言葉ではなく、もっと複合的な存在であることがよく分かった。
     会社として自らの採算もさることながら、どうすればより良い社会に変えることが出来るのか。そうした「社会を変革するセオリー」を生み出し、かつ実践していく。そうした目線、実行力が、利害を超えたところにある。

     アヘド氏も同じバングラデシュ出身。彼は政府の補助金や先進国からの援助に頼らず、貧困層の中で起業を促し、自力でビジネスを始める人々を支援する仕組みを確立、そして成功を収めた。こうした外的なものより内なる起爆から広がっていくマイクロ・ファイナンスという手法を駆使。支援される対象の人たちは、主に農業復興、教育、医療サービスに従事。彼の団体がそのノウハウを啓蒙しながら、資金貸しをする。貧困層の中で需要と供給を産み出していくのだ。当然、生活基盤は安定化していく。と同時に、農業による食料事情の好転、それまで行き届かなかった子供達への教育、医療の基礎的ものが、乳幼児の死亡率低下と繋がり、必要なインフラ整備も産業化していったという。

     アヘド氏がイギリスから自国へ戻った37年前。バングラディシュでは民主化が始まり、インド等に避難していた1000万人を超える人たちも戻ってきたが、同時に混乱と貧困の時でもあった。
     そんな中、一民間人として、アヘド氏の国作りが始まる。
     各分野で具体的に進めてきた方策とデーター。聞けた範囲でもたくさんあり、書き切れないほどだ。
     総括的に見て特におもしろいと思ったこと、というよりも日本と違うと思ったことがある。あらゆるイニシアティブを女性に任せるという点だった。医療、教育を進めるために、各村々に設けるフィールドワーカーは必ず女性。始めにあらゆることを彼女に啓蒙する。病気になった乳幼児に飲ませる薬用水溶液の作り方、子供が教育を受ける重要性等々。そして彼女がその集落のいわば、リーダー兼相談役、そして、アヘド氏の組織への報告役にもなるという。
     女性が社会を引率していくという発想が先ず第一に浮かぶところは、お国柄の違いだろう。氏も「バングラで使えても、アフガンでは応用出来ない」と語っていた。国民性を踏まえた上で、経済や教育等、国の青写真を描いている。

     こういう動きを見聞きしていると、ふと、日本が心配になる。
     私に何がどう出来るか、引き続き研鑽していきたい。

     尻切れトンボになるが、今日はここまで。




     
    | - | 18:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    「象引」はおもしろい!
    0
       初の国立劇場。大ホールにて、歌舞伎十八番の内「象引」を観る。
       初春歌舞伎公演と題されたこの期間の公演は「十返りの松」「いきじ競艶仲町」(いきじくらべはでななかちょう)の三演目。

       この日の目当ては、何と言っても、白血病から三度の復帰を果たした市川團十郎の姿。お家芸の荒事で、勧善懲悪のコテコテ芝居に思わずしびれてしまった。
       「待てエ」「待ちゃがれ〜〜」と、途中、大小の鳴物と共に花道に登場。会場のあちこちから「よっ、成田屋!」の大歓声。いきなり話の進行に割って入るその格好は凄まじい。赤塗立江戸紅一本隈といわれる隈取、力紙を施した度派手な衣装、まさに生気に満ち溢れた強さの象徴。
       そこからがまたカッコいい。七五調で切れのある台詞回し。
       「オ、その御不審ナ御もっとも。ヤイ、そこな、青公家どんもよっく聞きゃれさ。三国無双の艶くらべ、青いお公家に白い姫、真っ平御免のそのなかへ、面まっ赤いな寒牡丹、赤ぇはお江戸の飾り海老と、罷り出でたる我こそは、簑田の郷に住まいする、主もなければ金もねえ、簑田源二猛という、気侭暮らしの浪人者。一年三百六十日、酒に起きては酒に寝て、肘を枕の高いびき。夢か現に聞いてみりゃア、猛象退治不首尾とあって、この関東の守護職たる、豊島のお家を罪せんため、都より公家衆が、のたくりつん出て来たとの話。そりゃア無理だ、言いがかりというもんだ。唐天竺の化け物が、たやすく退治出来ぬはもっとも。それを落ち度にお咎めとは、どいつ、こいつは知らねえが、当家を罪に落とさんと、恐れ多くも天子さまの、眼をくらます悪だくみ」
       といい放ち、悪態をつく公家に食ってかかる。敵も負けじと同様の台詞回しで詰め寄る。
       最後はこの團十郎演じる猛(たける)と悪徳公家が象を引っ張り合って戦う。これは引合事(ひきあいごと)という、2人の勇者が1つの物を引き合って腕力を競う演出の方法の1つだそうだ。
       
       先日、3度に及ぶ團十郎の闘病生活から復帰までを記録したテレビ番組を見た。特に2度目の治療には極限の量まで抗ガン剤を投与し、死の淵をさまよった。本人曰く「無限地獄」だったという。
       そこから立ち直ってきた屈強さ。その精神性が悪霊退散の願いを重ねた荒事に、一段と磨きをかけていた。そう思ったのは私だけではないだろう。

       「やっとことっちゃァうんとこな」と荒事いつもの六方を踏みながら、團十郎は、花道を引き上げていった。
       
       
      | - | 23:31 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      初めての大相撲
      0
         目を覚まし時計を見ると、何と16時。慌ててテレビをつける。あわせたNHKには、朝昇龍の土俵入りが映っていた。「中入」だ。
         しまった!完全に寝坊だ。今日は14時には両国国技館に着いて、大相撲初場所を観る予定だったのだ。
         大急ぎで出掛ける準備。10分後には家を出、ダッシュで両国へ。何とか17時前には、国技館へ入ることが出来た。

         昨晩は久しぶりに地元の仲間と台北飯店で食事会、そして隣で台北飯店の奥さんが営むカラオケスナック、シンフォニーでカラオケ。楽しい時間を過ごす。
         2時過ぎには帰宅したが、なかなか眠れず朝方までテレビを見たりパソコンをいじったり読書をしたり。まあ、それでも相撲までは充分に眠れる。そうタカをくくっていたのが、大誤算。日頃の疲れがどっと出たのか、大爆睡。

         国技館の中に入り2階のイス席に着くと、ちょうど高見盛と朝赤龍の一番。
         この一番には懸賞が掛けられていた。出資者はここで宣伝が出来る。つまり、出資者の社名やオリジナルのデザインが施された人間ほどの大きさの旗を係りの人が持ち、アナウンスされながら土俵の周りを1周してくれる。テレビで見るのと同じ光景。
         永谷園のお茶づけの旗が目立つ。さけ茶づけに梅茶づけと、何と4,5種類も。大きなスポンサーだ。勝った方は懸賞金を受け取れる。とその旗の列の最後に「珍来」とある。何とウチの近くのラーメン屋じゃないか。きっとオーナーは、大の相撲好きなのだろう。

         そして、とりは朝青龍と安美錦の一番。途端に場内が盛り上がる。同じ横綱の白鵬がとり終えたばかりだったが、歓声の大きさが違う。いろいろ批判的な話題も多い朝青龍だが、反面、人気も絶大。
         あっという間に、「押し倒し」で勝利。場内が沸く。

         弓取式を見終わってから、会場を後に。
         寝坊で見られた一番はわずかだった。でも満足。 
         国技といっても、昔から庶民と共にあるもので、今日もみんな遠足に来たかのような雰囲気で楽しんでいた。

         今度来るときは、もう少し早く来ること。そして酒でも持って、大勢でわいわいやりながら楽しみたいな。



         
        | - | 21:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        やっぱり、勘三郎は凄過ぎるっ!
        0
           歌舞伎座で、今年初の歌舞伎鑑賞。
           夜の部の、壽曽我体面(ことぶきそがのたいめん)、春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)、鰯売恋曳網(いわしうりこいのひきあみ、「うり」「こい」は正式な漢字が変換出来ず)を観る。

           この公演から16か月に渡り、「さようなら歌舞伎座公演」と名付けられた公演が続く。現歌舞伎座が老朽化のため、建て替えられるためだ。2013年にはビル化され、リニューアルされるという。
           この「さようなら歌舞伎座公演」中は、人気のある演目、豪華な役者顔合わせが目白押し。第一弾の今公演も豪華な配役。そして私としては何よりも、内容的に満足させられた。

           特に感動させられたのは、「春興鏡獅子」。
           以前からファンの中村勘三郎さんの舞台。今回は2年前に「勘三郎襲名披露」で演った「春興鏡獅子」という十八番を「さようなら歌舞伎座」公演にぶつけてきた。女形に扮し約40,50分舞うのだが、本当に凄いの一言。心に乱れがあると成立しないと言われるこの舞をやり切る集中力。勇敢な獅子の狂いとは斯くあるものだ。とりわけ歌舞伎通でもない私でさえ、思わず、そう唸ってしまった。
           途中から胡蝶として登場する2人の子役も、長時間もの振り付けや段取りを見事にこなし、こちらにも感動。10歳前後の年頃だろうか。こんな幼い頃から舞台上で相当の修羅場を踏むのだから、さぞかし厚みのある舞台人になることだろう。
           「鰯売恋曳網」では、笑いの渦。
           お互いに尊敬し合っているという勘三郎と坂東玉三郎との名コンビが、軽妙なやり取りで客を沸かす。勘三郎さんはさっきとは、まるで別人。2人とも人情を武器にした喜劇センスには長けている。つい一昨年暮れに観た玉三郎さんが主役を務めた「降るアメリカに袖は濡らさじ」を思い出した。ここでも勘三郎さんが玉三郎さんに華を添えていた。

           勘三郎さんの熱意と実行力。ますますファンになった。その「死ぬ気」でやる本気をもっと学ばねば。
           そんな心意気に触れ、また自分でも持ち直し、
          「こいつは春から縁起がいいわい〜」。



           
           
          | - | 23:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          ザ・ワールド・フェイマス・カウント・ベイシー・オーケストラ
          0
             久々に青山のブルーノート東京に出掛ける。
             カウント・ベイシー・オーケストラ(現名、ザ・ワールド・フェイマス・カウント・ベイシー・オーケストラ)の2セット目を聴く。暖かい響きと豪快なスイング感。そして、その深み。まるで真冬のホットウイスキーを楽しむかのよう。ビックバンド・ジャズは、まさにこの時期がよく似合う。

             総勢18名。小さなステージにメンバーが所狭しと陣取って、華やかな演奏。1晩に1回のコンサートと違い、このジャズクラブではお客を入れ替えて2回の公演が主。その分、時間もやや短い。しかしながら、ここは的を得たプロ。ちゃんとお客を満足させる曲目とプログラム構成、また各ミュージシャンが見せ場のあるアドリブで、客を沸かす。そして何より、小さな空間での臨場感はたまらない。

             その音の洪水にしびれながらも、頭の中は、確か高校時代だったか、私がジャズを聴き始めた頃の記憶が。
             私の家族は、アパートの1室に管理人として住んでいた。酒好きで何かと面倒見の良かった父は、ほぼ毎日、このアパートの住人たちを夕食に招いた。年月と共に住む人は変わっていったが、この賑わいは父が亡くなるまで続いた。そんな人たちの中に、大学時代にサークルでトランペットをやっていた男の人がいた。
             私はこの頃、映画音楽やスタンダードっぽいものを聴き始めていたので、何かオススメを教えて欲しいとお願いしてみたところ、たくさんのテープを貸してくれた。そのほとんどが、ビックバンドジャズ。秋吉敏子のもの等もあったが、多くはカウント・ベイシー楽団のものだった。
             ところが、聴いてみて、全然楽しめない。特にロック好きでもなかったが、ロックが縦ノリだとすると、スイングは横ノリ。それに体がついていけず拒否反応。それにビックバンド特有の「たるさ」というのか。眠くなるか、頭が痛くなるばかり。
             田舎の高校生だった私の周りには、ジャズを聴くものなどいない。それで私はよく分かっていないながらも、つい見栄を張って「俺、ジャズを聴くんだ」と、既に友達たちに自慢していた。この先走りに引っ込みがつかない。慌てて、ジャズには他もあるはずだ、もっとシャープでカッコいいものを、ロック好きな連中ですらしびれる、一目置かせるものを見つけなければと、さらにジャズを聴き始め、仕舞いにはコンボ編成からビックバンドまで、ドップリとハマッていったのである。

             そんな経緯が私のジャズの聴き始めだ。それから20数年後の今日、改めて、物ホンのカウント・ベイシー楽団を体験。ああこれ知ってるという懐かしさも多い。
             しかしながら一番いいと思ったのは、各プレイヤーの演奏する楽しそうな姿だ。自然体でカッコいい。「俺たち、大好きなベイシーサウンドを演って、世界を回ってるんだぜ」という誇りや気取り、これが実に等身大なのだ。
             
             私が想像するミュージシャンたちの境地と、高校時代の記憶。私の中で相まるにつれ、「古い」も、「新しい」も、同じことかな〜なんて思う。
             ステージのラスト曲、「エイプリル・イン・パリス」が心に染みる。





            | - | 23:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |